40歳前後になって、自分もいずれ死ぬんだと強く意識するようになった。
多分脳ミソではなくて体が、生物として下り坂に入ったことを敏感に感じ取っているのだろう。
実際にはとうの昔に半分を過ぎているのかもしれない。
逆にまだ中間点を折り返していない可能性もあるわけだが、だからといって単純にあと半分以上残ってるぜ、と喜ぶわけにもいかない。
人生80年と考えた場合、それを一本の棒だと仮定して、40歳のあたりに指を置いてバランスをとったら釣り合いますか?って話。
一本の均質な棒なら釣り合うのだろうけど、人生なんてそんな単純なものじゃない。
一概に全ての人に当てはめるわけにはいかないが、多くの人にとってこの棒きれは前半金属、中盤プラスチック、後半スポンジ、そんな質感ではないだろうか。
統計学でいうところの加重平均という考え方に近いのかもしれない。
単に平均するのではなく、重みづけしてから平均しましょうっていうやつ。間違えてたらゴメンナサイ。
その観点でもう一度人生という棒きれのどこに指を置けば釣り合うのかを考えてみると、大抵の人は40歳よりぐっと若い年齢になるはずだ。
まあそれもそのはず、運が悪けりゃベッドで寝たきりになったままお花畑で蝶々と戯れる最後の10年と、身もココロも劇的に変化していく最初の10年を同様に扱うには無理がある。
人生の前半にウェイトが偏るのは当然と言えば当然の話。
そう考えると、子供の頃に時間の流れが異常に長く感じたことも納得がいく。
残念ながら幼稚園以前の記憶はほとんど無いが、小学校~中学校に入るあたりまでは毎日が延々と続くかのように長く感じたものだ。ほんとにもう飽き飽きするほどに。
それが中学を出て高校に入る頃から徐々にスピードアップ、以降は加速度的に時間が流れて現在に至っている。
この時間感覚のズレも、同じく人生という棒きれの上を歩いていると仮定して考えてみると理解しやすかったりする。
前半は密度が高い分、重みを考慮した中間地点までの距離は短い。その中間点まで、人生の半分の時間をかけてゆっくりと辿り着けば良いわけだ。
逆に後半になると、残された棒きれの長さは長いものの密度はスッカスカ、表面はツルッツルである。だから残り時間が半分しかなくても、長い距離をサクサクと進んでいける。
小さい頃は密度が高くて抵抗の強い棒きれの上をゆっくりと消化しながら歩いていく。
大きくなってからは凹凸の少ない滑らかな棒きれの上を滑るように流していく。
こんなイメージ。
ちなみにこの密度や抵抗は、新しい経験や初めての体験と呼ばれるもの。
これこそが大人と子供で時間感覚の異なる原因ではないだろうか。
知らんけどね。
ちょっと気になったので調べてみると、ジャネーの法則とやらがヒットした。
この時間感覚のズレ、ちゃんと心理学的に名前がついているようだ。
ちらっと読んでみたが、内容的には当たらずとも遠からずといったところか。
何が言いたいのかというと、自分の人生がもうあまり長く残っていないということに気付いてしまったのだ。
実際の時間はともかく、体感される時間として。
例え寿命としては折り返し地点付近であったとしても、おそらくもう死ぬまであっという間に感じるんだろうなと。
だからなのかなんなのか、最近になって特に後悔の少ないように生きようという思いが強くなった。
だけどそんなに器用な方じゃないので、後悔しないようにとは言っても興味本位に手当たり次第、いろんなモノに手を出しまくるわかにはいかない。
むしろその逆。
いろいろチャレンジするんじゃなくて、対象を絞って少数精鋭みたいな感じで。
だからとりあえず順位付けをすることにしたのだ、自分の残りの人生において優先すべき事柄を。
そしてその上位にくるものと、それに深く関連するものについてのみ力を入れていこうと。
逆に優先順位の低いものに関してはいっそのこと切り捨ててしまえと。
人生の断捨離。
今、そんなこんなで自分にとって余分なものをそぎ落とし中だ。
ちなみにブログを書くことは今の自分にとって、優先順位の高いモノに深く関連するもの、という位置づけ。だからもうしばらく頑張ってみようと思う。
とここまで書いて重大な事実に気が付いた。
・・・・・・これ記念すべき100記事目だわ_| ̄|○
シモタ・・・・・
100記事目ウェーイみたいな感じで一回分稼げたのに・・・・
人生の断捨離とかほざく前にオマエのブログ断捨離しろよってか・・・・
・・・・・・今から意見変えてもいいですか?
人生に断捨離できるものなんてねーんだよ
一期一会なんだよ
♪よっけいな~もっのーなど~んないよね~~~ なんだよ
ウソだよ