結局人生というのはこのせめぎ合いではないかと思うのです。
往々にして今やりたいことと今やるべきことは正反対であることが多く、若い時分、私はこの選択をことごとく間違えてきた人間なのです。
その典型的な例が大学受験。
周囲が目の色変えて受験に挑んでいる中、やりたいことという名の現実逃避に走った私は最終的に相当な遠回りを強いられました(再受験編参照)。
ようやくやりたいことよりやるべきことを優先できるようになったのは、二度目の学生生活を送るようになった頃からでしょうか。
痛い経験というのは、どうやら根本から人を変えてしまうようです。
そしてよく考えてみれば、人生にはそのような選択を迫られる場面がそこかしこに散りばめられているのです。
最近もそのような場面がありました。
車です。
男ならカッコいい車に惹かれる人が多いのではないでしょうか。
多分に漏れず私も、いわゆる外車と呼ばれるカッコいい車に一度でいいから乗ってみたいというありがちな願望を持ち合わせておりました。
実際、無謀すぎる願望というワケでもなかったのです。
三食お茶漬けで三年間頑張れるなら何とか手の届く範囲だったのです。
しかし私には小さな子供がいます、しかも複数。
さらに両親や兄妹も車に乗せて皆で旅行やドライブに行きたい、という夢もありました。
だから結局、私は国産のミニバンを選択しました。
今乗りたい車より、今乗るべき車を優先したわけです。
そしてこの選択に今の私は大変満足しております。
今やりたいことではなく、今やるべきことを優先して間違うことはまずありません。
迷わずにこれができる人は、その先に手堅い人生が待っているのではないでしょうか。
だけど、今やりたいことを選択することが悪いことだとも思っていないのです。
これはもうケースバイケースです。
人生において、やりたいことを優先させるべき時は間違いなくあると思います。
かくいう私も就職するか再受験するかの選択で再受験を選んだわけですから。
あれは間違いなくやるべきことよりもやりたいことを選んだ瞬間でした。
もちろんそれ相応の代償を支払うことにはなりましたが。
いろいろ失敗した私の現在のスタンスは以下の通りです。
強い思いがないのなら、とりあえず今やるべきことをやっておけばよい。
今やるべきことは、自分でわかっていなくても誰かが教えてくれる場合が多い。
逆に今やりたいことは自分にしかわからない。
それが本当に大事なことなのかどうかも自分にしかわからない。
本当にやりたいことかどうか迷った時は、やりたいことを道に例えてみる。
ダラダラ続くラクな下り坂を連想するなら、それは現実逃避であることが多い。
てっぺんの見えないハードな上り坂を連想するなら、やるべきことを差し置いてでもやってみる価値があるのかもしれない。
失敗続きだった父の経験から何か子供達にアドバイスできるとしたら、せいぜいこのくらいでしょうかね。