パンダ組の日常

~だんご三兄妹をめぐるカオスな日常~

こちら救急24時

別に救急が専門でなくとも、市中病院に勤めていれば救急当番というものがある。

内科や外科などのいわゆるメジャー科と呼ばれる診療科に属している限り、救急当番は避けて通れない業務である。

いわゆる二次救急というやつ。

もちろん救急診療自体を行っていない病院であれば話は別だが。

 

自分が受け持ちの時間帯に要請があった場合、診察可能と判断すれば救急車を受け入れて診療を行う。

こう書くと簡単に聞こえるが、相手はウォークインではなく搬送されてくる患者である。

二次救急とはいえ、すぐに三次医療機関(さらに高度な救急医療を行う病院)へ転送しなければならないような重篤な患者も一定の確率で運ばれてくる。

 

それなりに緊張感が伴う業務であることに間違いはない。

 

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まだ私がピヨピヨの研修医だったころ、数か月間だけバリバリの三次救急病院で研修を行ったことがある。

私はその病院を第二希望の研修先として提出していたのだが、なぜかそこへ送り込まれたのは私だけではなかった。

全く違う病院へ希望を出していた彼女(今の嫁さん)までまとめて放り込まれたのだ。

きっと担当者が一人一人の研修医に研修先を割り振るのが面倒くさかったのだろう。

同じ大学出身の我々を一纏めにしてポイッとやっちゃいたい欲望に負けてしまったに違いない。

 

もはや巻き込まれ事故としか言いようがない、とんだとばっちりを受けた嫁。

恨むなら当時の担当者を恨んでくれ。

 

 

その病院での数か月間、それはもう緊張の連続であった。

毎日毎日ひっきりなしに運び込まれてくる重症患者たち。

そもそもが三次救急だから、かなり状態の悪い患者ばかりがふるいにかけられて搬送されてくる。

内科的救急疾患から外科的疾患、交通事故に手指切断に溺水に熱傷に飛び降り・・・・なんでもアリの世界。

 

初療を経て病名が確定すると、該当する診療科がその後の治療を担当することになるのだが、研修医はもうオマエら全ての患者に絡んどけっていうスタンスだったから大変だ。

 

それだけではない。

救急はなにも日中だけの仕事ではないのだ。

良い子は皆寝ているはずの丑三つ時とて、いつ何時運ばれてくるかもしれない重症患者のためにスタンバイしておかなければならない。

 

そう、当直である。

 

日勤帯ならばマンパワーでなんとか押し切れるものの、当直帯ではそもそも稼働している人数が少ない。

しかしひとたび重症患者が運び込まれてくると、やらなければならないことは日勤帯となんら変わらないのだ。

当然ながら一人一人にかかる負担は大きくなる。

研修医だからといって横でポカ~ンと見ているわけにはいかない。

患者の家族から搬送時の状況を聞き取り、かかりつけの病院が無いかを調べ、お薬手帳で内服薬を確認し、他にも採血したり血ガスとったりCT室まで搬送したり・・・・。

 

当たりが悪ければ、ほぼ一睡もできないまま次の日の通常業務が始まることもザラ。

唯一の休みである日曜日が当直で潰れ、さらに一時間も眠れないまま月曜日に突入するときの絶望感といったらもう・・・・・

 

 

そこで私は彼女と結託し、当直業務の負担を少しでも軽減できるよう、一方の当直の日に他方も自主的に当直するという苦肉の策を選択。

おかげで業務は少しだけ楽になったのだが、研修が終了するまで数か月の間、3日に1度のペースで当直という地獄のような生活を強いられたのだった。

 

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では救急病院での研修生活は楽しくなかったのかというと、決してそうではない。

実際かなり楽しかったのだ。

 

もう一度研修医として戻りたいかと問われれば答えはNOだが、一度きりであれば「こんな生活を経験してみるのもアリだな」と思わせてくれるに十分な充実感を伴っていた。

しかも研修医はみな追い詰められた極限状態に置かれていたわけで、それを分かり合える戦友同士、暇さえあれば夜遅くからでも頻繁に飲み歩いていた。

普段は怖そうに見える上級の医師たちも実は体育会系の淋しがり屋さんといったキャラが多く、しばしば業務明けに飲みにつれて行ってくれたものだ。

 

このように仕事はハードであったが決して居心地が悪かったわけではなく、今だにその頃を懐かしく思い出すことがある。

それと共にあの地獄の日々を乗り切ったんだという自負が、時折訪れるヤバい状況においても心折れずになんとか診療を続ける礎になっている(ような気がする)。

 

 

ま、今はゆる~くなんちゃって二次救急の真似事をしてるだけなんだけどね。

 

 

 

なんか唐突に救急業務を語りたくなってしまった。

 

おそらく愛読しているブロガーさんの、吐血しても救急車を呼ばなかった話を読んだからだ。

どうやら自力で病院まで連れて行ったらしい。

あっぱれだ。

 

もちろん吐血は危険なケースも多い。

顔面蒼白で立ち上がることもできないくらいフラフラ、心臓もバクバクしてる。

これはすでにショックになるほど出血している可能性が高く、早々に救急車を呼ぶべき状態である。

吐血と思ったら喀血だった(呼吸器系の出血)なんてこともある。

こちらも中々に判別が難しい。

だから吐血で救急車を呼ぶことは間違いではない。

 

そのブロガーさんは患者の基礎疾患や平時における主治医からの説明、吐血時の状態を総合的に踏まえ、冷静に判断したのだろう。

もし自分だったとしても同じ判断だ。

しかしそのブロガーさんは医療関係者ではない(多分)ところが凄い。

有事の際に冷静な判断ができたということは、きっとこのような状況を普段からシミュレートしていたんだと思う。

 

 

救急業務に従事していると、しばしば「アンタ・・・なぜ救急車を呼んだ!?」と問い詰めたくなるケースに遭遇する。

いや、しばしばではなく頻繁に、かも。

世の中には熱が高かくてしんどかったから、ちょっとフラついたから、移動手段が無かったから、話し相手がいなくて不安だったから、なんていう俄かには信じ難い理由で気軽に救急車を呼ぶ人々が存在する。

 

ふつう救急車に乗るなんて一生に一度あるか無いかのイベントだと思うのだが・・・

 

 

たしかに救急車を呼ぶかどうかの判断は難しいことが多い。

 

パニックになって呼んでしまいました、何事も無かったみたいでスイマセン・・・

 

よくあるそんなケースでは受け入れる側としても「いやいや仕方ないですよね~こんなん誰でもビビりますよ~」なんて広い心で接することできる。

 

しかし、えてして安易に救急車を呼ぶ人に限って悪びれた様子は見せないものだ。

それが当然であるかのように振る舞われるとこちらもカチンとくる。

これが一睡もできなかった当直明けだったりすると、もはや滲み出る殺気を隠す努力すら面倒になる。

 

 

 

 

 

というわけでまとめます。

 

本当に危ない状態なら誰が見ても一目瞭然、すぐに救急車を呼びましょう

救急車を呼ぼうか迷うような状況なら一旦深呼吸、冷静になりましょう

それでも判断がつかなければそれ以上考えてもムダ、救急車を呼びましょう

結局軽症だった場合、パニクッちゃいましたテヘペロ感を出しましょう

 

 

これで万事うまくいくハズです、きっとね。