この頃老化ネタが多い。
もっと明るくて爽やかなヤツを書きたいのだが、ふと気付けばここに戻っている。
きっとココロの更年期なんだろう。
昔は楽しかったはずのこと、もっと興奮したこと、感動的だったこと、すべてが若干色褪せて感じる。
もちろん一つ一つのイベントに反応する柔軟性は失われていないと思うのだが、それぞれに対する感情の振幅が小さくなってきたというかなんというか。
多分誰でもそうなんだろう、ある程度歳をとってくると。
だけどやっぱり少しおかしい。
ここ最近で急速に進行している気がするのだ、この褪色症候群が。
そこんとこを自分なりに解釈してみた。
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この前書いたカミサマの話、リュックに時限爆弾を入れるとかいうヤツ。
もちろんカミサマはそんな物騒なもんだけじゃなくて、この世で生きていくために必要な色々なものを入れてくれる・・・・・はず、きっと。
その中の一つとして、今回は色鉛筆。
24色入りが標準。
この色鉛筆で日々の出来事をココロに描写しなさい、ってわけ。
そうすることで興奮やら感動やら恐怖やら悲しみといった情動が湧き起こり、それを表出するのだ。
ときにこのココロの色鉛筆、100色セットなんて入れてもらえるラッキーな人がいる。
そういう人は物事に対して鮮明で詳細な描写が可能となる。
いわゆる情緒の豊かな人。
逆に20色や10色と、少ない本数しか入れてもらえなかった人もいる。
そういう人達は何かが欠落してるなんて言われたり、時に病気扱いされる事もある。
しかし少ない本数でも、その分だけ画力を上げれば素晴らしい描写ができるのだ。
そうすれば、それは一つの才能となる。
それはともかく私の場合、どうやらごく標準的な24色セットが入っていたようだ。
今までの人生、特にこれで困ったことはない。
まずまず人並みの描写をしてきたのではなかろうか。
それがここにきて異変が起きた。
日常のモロモロが、最近どういうわけか色彩に乏しいのだ。
美味しいもの食べても、友達と酒飲んでも、綺麗な女の人とすれ違っても。
もちろん子供に関する事柄は別格、特に色褪せているとは思わない。
思わないのだが、それですらもっと若い頃ならさらに鮮明に描写できたのではないかと思ってしまう。
おそらくこのココロの色鉛筆、年を経るごとに本数が減っていくのだ。
短くなって使えなくなったり、途中でへし折れてしまったり。
それだけではない。
あまりに大きな悲しみやショッキングな出来事を経験すると、色鉛筆そのものを紛失してしまう。
ショックの大きさによって失う色鉛筆は1本かもしれないし、それ以上かもしれない。
そして一度なくした色鉛筆は二度と戻ってこない。
例えば彼女にフラれた時、何も手につかず世界がモノクロに感じられるはずだ。
しかしそれは紛失ではない。
一過性にそこにあるはずの色鉛筆を使えなくなるだけ。
新しい彼女ができればすぐにバラ色になる。
色鉛筆を失ってしまうのは、もっと不可逆的で大きなショックを受けた時だけ。
そう考えると、歳を取るにつれて喜怒哀楽が乏しくなるのも納得だ。
長く生きてきて色んな経験をして、もう残ってる色鉛筆が少ないわけだから。
その少ない色鉛筆で一生懸命描写しても、それを本人もしくは傍から見てる人が物足りなく感じるのはある意味当然のこと。
では自分には今、どれくらいの色鉛筆が残っているのか。
・・・・・まぁ感覚的には12本くらいかな、半分くらいに減った感じ。
年と共に自然と無くなったものに加えて、最近経験した悲しい出来事で急に3,4本は持っていかれた気がする。
さらに不幸なことに、悲しみで紛失する色鉛筆は常に暖色系と相場は決まっている。
だから今自分に残された色鉛筆は寒色系が優位。
・・・・そりゃ色も褪せるわ
どうりで怒りとか悲観とか、寒色系の表出だけが煌めいてるワケだわ
よし、原因はわかった
しかしそれで納得するだけでは何も変わらない
さてと、これからどうするか・・・
もう画力上げてくしかないわな
緻密なタッチで細部にまでこだわって
鋭い観察眼でもって全体を俯瞰して
もう道具に頼った描写とはオサラバだ
使える道具が減った時こそ真価が問われるってもんだ
そして最後、黒一本になった時にはもう達人の域に達してやる
こんな感じに
https://www.skillots.com/search/work_images/9146?category_id=1&locale=enより引用