パンダ組の日常

~哺乳綱オヤジ目アラフォー科ジャイアントパンダ属の中年が綴る日常~

思ひでシリーズ 再受験編 その1

書くことが無くなったので思ひでシリーズでお茶を濁そう。

はてさて何を書こうか。

とはいえ今までの人生、特別な経験など全くしていない。

しいて言うなら再受験くらい。

よし、風化する前に再受験のことを書き留めておこう。

それがいい、そうしよう。

 

・・・

・・・

・・・風化していました、記憶が・・・

まー無理もない、かれこれ15年以上前の話だから。

覚えてる範囲でいっとこーか。

 

 

そもそも勉強嫌いの子供でして。

地頭はソコソコのモノを持っていると言われ続けてきたが、いかんせんそれを使いこなすこともなく、そのくせ大した努力もせず、気がつけば受け入れてくれる大学も無く浪人生に。

それでも危機感はゼロ。嫌いだからという単純な理由で数学は積分をカット、化学は有機をまるまるカットして、他で満点取ればいーじゃんと言い放つ筋金入りのバカであった。そんな感じでテキトーに勉強して国公立に落ちてどっかの私立文系に引っかかって入学して数か月で中退してまた浪人をやり直して・・・そんなこんなで最終的に地方国立の理系学部になんとか滑り込んだ。

 

これでやっと受験勉強からオサラバできるわぃと喜んだものだが、もともと特に興味のない学部の中でさらに回し合格であったため、当然ながら一向にやる気が起こらない。出席日数をにらみながらギリギリの綱渡りで単位を取得するデキの悪い学生であった。4年間の大学生活で勉強したことは一切頭に残っていない。これだけは断言できる。

 

理系の4回生(3回生だっけか?)といえば就活するか、そのまま大学院に行くかの二択を迫られる学年である。私のクラスは45名ほどだったと記憶しているが、その内9割近い学生が熱い志で大学院進学を希望していた。そんな中毅然とした態度で社会に出たくないと公言していた私はもちろん大学院をネガティブチョイス、しかしそもそも動機が動機だけに試験勉強に身が入らず、それでもなんとか後ろから数えて数番目というギリギリの成績で院試を突破した。

 

ふぅーアブナイところだった、これであと2年は大手を振ってモラトリアムを楽しめるぜと安心したのも束の間、入学が決まって早々意外と院生生活がキビシイことに気が付いた。もともと理系であるにも関わらず数学物理を毛嫌いしている私が、小難しい公式やホニャララの定理なんかを駆使してC言語だかなんだかよくわからん記号でプログラムを組むなんて芸当できるわけねーじゃん、とその時は思ったものである(今振り返ると意外にできたんじゃねーかと少し後悔している)。毎週開かれるミーティングで研究テーマの進捗具合を報告するたびに鬼の助教授にボコボコにされ、そもそも何の研究をしているのかすら把握できてないのに次週までになんとかしろってそりゃ無理っすよ、と開き直るクソ生意気な学生であった。そんな感じで院生生活もそろそろ半分を過ぎる頃、徐々に膨らんできた居心地の悪さ、本当にオレはこんなことがしたいのか?これを生業にして定年までパソコン睨んでキーボードたたいてて後悔はないのか?という今さらながらの自問自答を、学生生活も残り少なくなった制限時間ギリギリの段階で後出しジャンケンのように繰り出す往生際の悪さ。要するにこのまま純理系の道で生きていくことに対する拭いきれない違和感や不安を切々と感じていたわけで、そんな自分がもう一度、今度は本当に興味があり自ら進んで勉強したいと思える医学部の受験を真剣に考えるようになったのは、決してさらなるモラトリアムを求めてのことではございません。何を隠そう現役時代から臆面もなく医学部志望を公言していたわけだから(そのための努力は一切していない)

 

しかしそう考えはするものの普通そこで大学院はやめないよねー、と。家族からしてみれば一体何年学生やる気やねん、ましてや6年近くもブランクがあるのに本当に受かるとでも思っているのか、と。まぁ当然の反応ですわナ。

恐る恐る打ち明けた家族からの嵐のような非難、頼むからこのまま就職してくれという懇願はすべて想定の範囲内であり、心臓に剛毛が生えている私の心にさざ波すら立てることはなかったのだが、意外なことにただ一人、父親の反応だけは違った。薄くニヤリと笑みを浮かべると「そっか、やってみるか?」と軽く言ってのけおったのだ。打ち明けた当の本人が「このヒト本当に言ってる意味わかってる?」と心配になる程かるーいノリであったと記憶している。しかし何はともあれ一家の大黒柱の言質を取った私はこれ幸いと、その他の家庭内タカ派による強烈な反対運動をものともせず、浪人生活に戻る準備をそそくさと始めたのであった・・・その2へ続く