パンダ組の日常

~だんご三兄妹をめぐるカオスな日常~

思ひでシリーズ 再受験編 その3

大学から原付で5分程度の近場に住んでいた私の、下宿と図書館をただひたすら往復するだけの単調な浪人生活が始まった。

ちなみに親は予備校に通わせたいようであったが、すでに6月と入学するには中途半端な時期であったこと、お金がもったいないこと、そして何よりも予備校の授業についていく基礎的な学力すら怪しい状態であったことから、再受験を決意した当初から予備校には行かないと決めていた。

 

朝起きてシャワーを浴びたら原付に乗ってブイーッと大学図書館へ。

その前にコンビニに寄ってオニギリ2個(シーチキンマヨネーズ1個、その日の気分で1個)とタマゴサンドとお茶とヴィダーインゼリー(今はもう無い?)を購入。

一旦図書館に入ってお気に入りのポジションを確保し、もう一度外に出て駐車場近くの人通りが少ないベンチで優雅な朝食タイム。寄ってくる雀に残った米粒を恩着せがましく与えながらヴィダーインゼリーをチューチューやるのが俺流なのだが、これを半年以上続けたせいか受験終了後はヴィダーインゼリーを全く受け付けなくなった(あの味が再受験時代のショッパイ思い出を想起させるらしい)。

 

優雅な朝食を5分で済ませるといよいよ図書館で勉強開始。

この日記は受験指南書でもなんでもないため具体的な勉強法について書く気はサラサラないが、ただひたすら1冊の参考書・問題集をしつこくシツコク粘着質に何度でも繰り返す。戦略はそれだけ。

 

少し厚めの大学ノートに太めのボールペンでとにかく書きなぐる。日が進むにつれ古いノートとインク切れのボールペンが積みあがっていくわけだが、それらを決して捨てることなく、時折目を細めて眺めては「ほーこんなに溜まってきたか、頑張ってんなーオレ」といった具合に自信へと昇華していく。そんな毎日。

 

 

昼食は適当に近くの蕎麦屋で済まし、夕方5時頃になるとさほど腹が減っていなくても図書館の隣にある学食に行って早めのディナーを。

通っていた大学はかなりの規模であったため、学食だけでも敷地内に数か所点在していた。

再受験で利用した学食は私が元在籍していた学部の連中が使う食堂とは別であったが、知った顔がいつなんどきこちらのテリトリーに迷い込んでくるやもしれぬため、用心に用心を重ねて早い時間帯に夕食を済ませておこうという算段であった。

それでもまだ安心できない臆病な私は、学食の隣に置いてある生協の旅行パンフレットを数部手に取ってから食堂に入るようにしていた。一心不乱にパンフレットに目を通し、あたかも熱心に旅行の計画を立てているかのようなフリをしながら掻き込むようにディナーを胃袋へ流し込むのだ。

早々に食事を終えると食堂出口のゴミ箱で短命に終わった用済みのパンフレット達にサヨナラを告げて再び図書館に戻る、そんな味気ない夕食の繰り返しであった。実際のところ昔から食べるのは早い方だったけど、再受験を機に食べるスピードが格段にアップしたことは間違いない。

 

なぜこうも病的に知った顔を避けていたのかというと、単純に後ろめたかったんだと思う。

同期の連中はそろそろ就職先も決まってあとは修士論文を仕上げていくだけ、明らかに前進してる・・・・なのにオレは・・・黄色チャート・・・・シケタン(試験に出る英単語)・・・・・赤本・・・・・・後退しとるやんけ!!

しかも受かる保証もなけりゃ落っこちたあとのプランもない(年齢的に新卒採用はムリ)。

そのあまりの格差に、偶然食堂で知人と顔を合わせても眩しくてまともに顔すら見ることができない心境であった。だから特に興味もないパンフレットを真剣に眺めるフリをして、万が一知った顔が入ってきても”ボクは全然気付いていませんからねー、食べ終わったらすぐに出ていきますんでそのままこっち見ないでねー”ってな具合にコソコソと飯を食ってたわけです。

 

今から考えれば自分で望んで決めたわけだし、なにもそんなに肩身を狭くせずとも堂々としてれば良かったわけなんだけど、それができないのが人間という哀しい生き物なのでしょう。 

 

 

いよいよ大学を離れて本格的に勉強を始めた当初、痛感したことがあった。

それまでの人生常に何らかの肩書きを持ってるのが当たり前で気付かなかったが、いい歳を過ぎて突然何の肩書きも無くなるとムチャクチャ心細いということ。

 

再受験開始当初、夜12時過ぎにそろそろ寝ようと電気を消して布団の中から天井をボーっと見上げていると、何の肩書きも無い自分に対する焦りなのか不安なのか孤独なのかよくわからん感情が噴出し、天井が自分に向かってゆっくりと落ちてくる感覚に悩まされた。教授の温情で休学扱いになったためかろうじて自分を証明する拠り所を失ってはいなかったのだが、もしこれが退学で学生証を持たない身であったなら・・・考えただけでオソロシイ。

おそらく浪人生活前半で天井に押し潰されて圧死。

背水の陣ってのは強靭な精神を持つ一部の人達には効果絶大なんだろうけど、自分のようなヒヨワな人間はおいそれと退路を断つもんじゃない、というのが率直な感想。

 

危なかった・・・あの時退学にしなくて良かった・・・教授よ本当にありがとう。

 

いずれにせよ寝ようとすると天井が落ちてくるワケで、そうすると必然的に眠りにつくまでにかなりの時間を要するワケで、そうなると朝起きる時間もズルズルと遅くなるワケで・・・受験生のクセに朝は9時過ぎ、下手すりゃ10時くらいまで寝るという自堕落な生活リズムは、結局再受験生活を通して最後まで続いたのであった。 その4へ続く