今週のお題「雪」
今週のお題を見てふと思い出した。
雪・・・・・
そういえば去年書いたな、雪ネタ
ブログをやるようになって初めて、少し長めの雑記っぽい文章を書いたということで思い出深い記事。
ということはあれからもう一年もたったのか・・・
速かったような、だけどはるか遠い昔のできごとのような・・・なんとも言えない気分だ。
まずまずの数に膨らんだ過去記事達を眺めていると、確かにそれくらいの時間が流れててもおかしくないな~、なんて改めて納得したりして。
ブログを書くだなんて芸能界に入るくらいとんでもないことだと思っていた自分がまさか一年も続けるとはね。
思い返せば一年前、最悪の精神状態の中で「何か始めねば・・・」と焦って飛びついてみたブログ。
日々の出来事を文章に残すことがどれほど大切かわかってはいたけれど、そもそもそんなマメなことができる性分ではない。
こんな自分でも天下のブログ様ならなんとかしてくれるんじゃねーか?
藁にもすがる思いで始めてみたのはいいけれど、インターネットという高すぎるハードルに腰が引けまくって、公開範囲設定「自分のみ」で書き続けた。
でもそれじゃただの「秘密日記」と変わらないということにわりかし早く気が付いた。
よし・・・・漕ぎだしますか、いざ大海原に
意を決して公開設定を「全ての人」に変えてみた。
結果・・・・特に何も変わらなかった。
「秘密日記」が「ほぼ秘密日記」にマイナーチェンジしただけ。
それでも一握りの「読んでくれる人」ができたのは大きかった。
お陰様でなんとかモチベーションを維持することができた。
そして「書く」ということが面白いと思えるようになった。
一年前と今の記事を比較してみるのも楽しい。
基本的な骨格は変わらないが、文章の構成や句読点の打ち方、行間・余白の取り方が変化している。
いいのか悪いのかわからないが、これも進化だと思うことにしよう。
読み返して稚拙な文章や恥ずかしい内容に思わず修正を加えたくなることもあるが、なるべくそのままにしている。
そういった変化を眺めるのもブログの楽しみ方の一つだと思うから。
まだまだ初心者の自分がこんなことを書くのはおこがましいが、一年間ブログを書いてみて、そして人様のブログをコッソリ盗み見して感じたことを少しだけ。
ブログの継続期間に関して。
私がブログを書いたこの一年間だけでも、たくさんのブロガーさんが現れては消えていった。
ほんとにもう仮想通貨ですか??ってくらいに新旧の入れ代わりが激しいこの世界。
そんな中でも長く続けているブロガーさんには共通点があるような気がする(といっても私自身、そんなに長く見てきたわけではないが・・・)。
まずはブログの更新が自然体なこと。
人によって隔日だったり週一だったり月一程度だったり、はたまたほぼ毎日更新されてたりとマチマチだが、みなさん無理なく自分に合ったペースで気ままに書いている印象。
ネタに飢えていないというか、義務感が無いというか。
書くことがあれば書くし、無ければ書きませんよ~くらいの軽い感じ。
次に書く姿勢が一貫していること。
一見色んなネタを扱っているように見えても、実は自分が興味のあるネタ、ブログを開設した際に書こうと思ったネタを忠実に書き続けている人が多い(気がする)。
読み手の嗜好に寄せていくのではなく、書き手の世界観を押し付ける感じ。
当然ブログは書き手が主人公なわけで、だからこの姿勢は結構大事なのかなと思ったりした。
最後にはそれを良いと思う人だけが読者として残ればいいわけだから。
そう考えると、登録読者の数なんてあまり意味がないのかもしれない。
登録だけしてロクに読んでもいない読者が100人いるよりも、毎回更新を楽しみにしてくれる読者が10人いる方が断然有難い。
・・・・読者が少ないことの言い訳みたいになってきたからそろそろやめとこう
とにかく、他人受けを気にせず自分の好きなことを好きなタイミングで書いていく。
実際にはすごく難しいことだと身をもって感じたのだが、これができる人が息の長いブログを書き続けていけるのだろう(もちろんアフィリエイトなど、副業としてのブログであれば話は全く違うのだろうけど)。
そしたらオマエはどうなんだと。
エラそうに言ってるけどオマエはそんな風にできてるのかと。
もちろん出来ていない。
もう人の目が気になって気になって仕方がない。
目を閉じるとスターがチラつく。
キスマークよりもブックマークをつけて欲しい。
ネタを探すのは一苦労。
産みの苦しみも半端ない。
だからおそらく長続きはしないだろう。
ハイわかってますとも。
だけどそれでいいのだ。
私の目的はすでに達成されている。
以前にも書いたが、私がブログを書く目的は「子供達への自己紹介」だ。
お前たちの父親はこんな人間なんだよ、こんな文章を書いてこんな経験をしてこんなこと考えてたんだよ、と。
ただそれを残したいだけ。
「遺言」にできるほど実のある話はほとんどない、悲しいほどに。
でもそれは必要ないのだ、当初の目的と違うから。
どちらかというと「遺影」。
そう、このブログは私の遺影なのだ。
イエーイ!
もし突然私がこの世からいなくなった後に子供達が父の面影を追うことがあれば、その時は写真だけではなくこのブログを見て欲しい。
ウンコ漏らした話とか書いてるけど。
それも含めて全部私なのだ。
ィエィイエーイ!!
そしてそういう意味ではもうこのブログは本分を遂げているハズ。きっと。
さて、始めたブログはいつか終えなければならない。
しかし一体どういう終え方をすれば良いのか・・・・
”終わります”と宣言して潔く終えるべきか・・・・
知らぬ間に更新頻度を落としてフェイドアウトするべきか・・・・
この答えが出るまでの間もうしばし、しばしお付き合いのほどを!!!