最近お題スロット遣いが荒い。
これがネタ切れというヤツなのか・・・・・
それはそうと面白いお題を見つけてしまった。
以前書いた通り、このブログは子供達に残すためのもの。
だからいいことばかり書くわけにはいかない。
父の恥部もしっかりと晒しておかなければ。
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恥の多い人生を歩んできたんです、太宰じゃないですが。
恥が多すぎてもう、細かいことはイチイチ覚えてません。
だけどコイツだけは忘れるわけにいきません・・・・パチンコ&スロット。
高校を卒業して晴れて浪人生になった頃、悪友に連れられて初めてパチンコ屋に行きました。
その後、私を染めた悪友どもは早々にパチンコから足を洗い、私だけがポツンとホールに取り残されたのです。きっと生来のギャンブル好きなんでしょう。
なんとか地元の大学へと進学しましたが、その後もパチンコ屋にはまずまずの頻度で通っていました。まだ500円玉でパチンコ玉を買っていた時代です。たしかCR機が出始めの頃です。
大学生という名の自由を手に入れた私は、パチンコにパチスロに麻雀にと学業そっちのけでモラトリアムを満喫していました。そして一切勉強しないまま瞬く間に学生生活も5年が過ぎ、人生の転機となる一大決心をしたわけです(詳しくは再受験編に:思ひでシリーズ 再受験編 その1 - パンダ組の日常)。
再受験を終えて辺境の地、〇✕大学で二度目の学生生活を始めた頃から、パチンコ屋に通う頻度がグッと増えました。周りに比べて歳を食ってるし、田舎だからたいした娯楽もないし、一人でパチンコに行くくらいしかやることがなかったわけです。
でも一度目の学生生活と同じ轍は踏みませんでした。
二度目の大学生活では、少なくとも授業を休んだり遅刻したことは一度もありません。
きちんと最後まで授業を受け、放課後になって周りの人々が部活動に励む頃、一人イソイソとパチンコ屋に向かうのです(もちろん毎日ではありません、ほぼ毎日です)。
この頃のパチンコやスロットはギャンブル性の高いものが主流でした。
スロットでは正宗や押忍!番長、Jet Set Radio、風の用心棒、サラリーマン金太郎、そして最もお世話になった初代北斗の拳。
パチンコはもっぱらGARO(初代)、二度目の大学生活も終わりの頃にデビューした名機です。
戦績は散々でしたけどね。
恥ずかしながら親から仕送りしてもらってたのですが、それが入るとまず米やらなんやら生活必需品をまとめ買いしておいたものです。
そうしないとパチンコ屋に全額奉納して餓死する可能性があったんです。
二度目の学生生活を終えると、彼女(今の嫁さん)を連れて故郷に戻って働き始めました。
しかし初心者マークのついてるド新人ですから、給料も淋しいもんです。
彼女も働きながら一緒に生活してたのですが、出費のかさむイレギュラーでストレスフルな出来事が重なったりして、ナカナカお金が貯まりませんでした。
お金は貯まらない、ストレスだけが溜まっていく・・・・
そんな折、私はあろうことか彼女の耳元で悪魔のように囁いたわけです。
簡単に儲かるイイ話がありますぜって。
もう完全にバカです、人間のゴミ屑です。
だけど彼女もナカナカにアレでした。
そんなイイ話があるの?って。
うん、パチンコっていうんだけどね、いつもオレが一人でフラッと行ってるやつなんだけどさ・・・・・
こうして二人でパチンコに行くようになったんです。
そしてこれがまた結構楽しかったんです。
一人で殺伐とやるよりも、二人で並んでワイワイやってる方がドキドキ感も二倍になるわけで。
だけどすぐに気付きましたね、損失も二倍になるということに。
そんでもって私も彼女(今の嫁さん)も、負けると結構目の色が変わるタイプの人間だったんです。
もう財布のお金が無くなってるのに、チラリと横を見ると血走った目で「次、行くわよ」って顔した彼女と目が合うわけです。
もうクレイジーコマンダーですよ、突撃~~~!!!ってね。
もちろんこちらも望むところ、すぐにATMに直行ですよ。
散々な目にあって早々にパチンコは封印しました。
それから嫁さんは一切パチンコに行ってません。
私も結婚して子供ができたため、完全にパチンコから足を洗いました。
もう何年も行ってません。
おそらくこれからも行くことはありません、ホントに時間の無駄でした。
不思議なもので、パチンコって一度行きはじめるとクセになるし、逆に一旦遠のくと全く興味が無くなるんですよね。タバコと一緒です。一本でも吸うとアウトです。
ちなみに今禁煙11年目です。
私も嫁も、ほんとに短い期間ではありましたが一緒にパチンコに行ったことを懐かしく思い出すことがあります。
あの頃ちょっとおかしくなってたよねって。
いい思い出です。
いい思い出で済んでホント良かった・・・・・