以前ブログを始めたきっかけとして書いた胸の風穴(胸にあいた風穴の活用法 - パンダ組の日常)。
最近またこいつの調子が良くない。
原因はわかっている。
初盆が近いこと、これも少しは影響している。
しかしおそらくは同じ頃に同じ体験をした知人の言葉が引っかかっているのだ。
その人は今年の夏休みの旅行を中止にしたと。
なんでも一年間はそういうことを控えるのが普通だと親族に言われたらしい。
一般的にはそんなもんなのか・・・全然知らんかったわ・・・
それでも自分は旅行に行くんだけどね、盆の時期ではないけど。
だけどなぜかその話を聞いてすごく違和感を感じたのだ。
もし自分だったら、家族がそんな禁欲的なことをしてくれても全く嬉しくないんだけど・・・・。
しかもそれが世間の慣習だから、という理由ならなおさらのこと。
むしろ貴重な思い出作りを邪魔してしまってゴメンナサイと恐縮してしまう。
自分は無宗教だから全くの無知で恥ずかしいのだが、喪に服すっていうのは行動ではなくて心の持ち方を言ってるんだと勝手に理解していた。
だから「喪に服す期間」ていう言葉が理解不能だ。
なんで期間を設けるの?って。
そんなん人それぞれ、自分の胸の中でいろんな折り合いをつけて決まっていくもんじゃないのか?
なので自分は自由にやっていこうと思う。
制限なんて一切なし。
家族とこの夏の思い出を作ることはこの夏にしかできない。
それを泣く泣く諦めることが故人を偲ぶことにつながるとは到底思えない。
本気で喪が明けるのなんて待ってたら子供達が大人になってしまうわ。
それに、どうせ旅行に行ってる最中だって色々思い出してツライに決まってるんだから。
さらに今回は初盆すら満足にできそうにない。
日程的に仕事を休めないし。
むしろ子供を預けてる保育園や幼稚園まで休みに入るため、家族に頼んで実家から応援に来てもらわなければならないという始末。
さすがに実家を空けてしまうのは心苦しいのだが・・・・・
でも仕方がない。
今生きてる人間が頑張ってる姿こそ供養だ、と自分に言い聞かせるしかない。
だけど言い訳じゃなくて本気で、あまりお盆が重要だとは思っていないのだ。
別にそんなイベントがなくたって、気持ちとしては毎日が初七日であり四十九日であり初盆、そんな感じだ。
もっと年月が経てばその重要性を理解するのかもしれないが、少なくとも今の自分にとっては全く不要なイベントだ。
今もまだ胸にあいた穴から滲む血のニオイ、これこそが私の供物であり、私が今喪中である何よりの証拠だ。