とうとう帰る家を失ってしまった。
多くの人が人生で一度は経験するであろう別れ。
そうとはわかっていても、やはりショッキングなイベントであった。
小学校低学年で引っ越してから約35年。
とはいえ私がその家で生活したのは15年程度、以降は家を出て一人暮らしだったのだが。
それでも頻繁に帰省したいタイプの人間であったため、学生時代は長期休暇のほとんどを実家で過ごしていた。
もちろん社会人になってからも結婚してからも、可能な限り実家に足を運んでいた。
それだけに今、家を失ったのは相当つらい。
と、ここまで書いてふと思った。
あの家で生活してたのってたかだか15年なのか・・・
優に人生の半分以上そこで過ごしたような気がするのに・・・
きっとこれが大人と子供の時間感覚の違いってやつなんだろう(加重平均的に人生を考えてみた - パンダ組の日常)。
そう考えると、今ウチの団子三兄妹達は我々オトナが想像もつかないほど濃密な時間を過ごしているに違いない、きっと。
それはさておき家の話である。
実家の連中は我ら息子家族が住まう中心部に引っ越してくるのだ。
いわゆるスープが冷めないくらいの距離に。
いや、ほぼ出来立てホヤホヤのスープが飲めるほどの超至近距離に。
それはそれで心強く有難い限りなのだが、だからと言って実家が人手に渡るとなれば話は別。
欲を言えば家を残したまま引っ越してきてもらいたかったもんだ。
しかし私もいいオトナ、それができないことくらいは理解している。
主を失った家はもはや存続不可能なのだ。
だから先日、実家に泊まって隅から隅まで写真に収めてきた。
全ての部屋の壁の模様、トイレに掛かってるピカソみたいな絵、和室の天井の木目、風呂場のシャワーの蛇口、絨毯の染み、各部屋の窓から見える景色・・・・・
解説無しでは何が映ってるのかわからないものまで撮って撮って撮りまくり、実に300枚近くを写真に収めてきた。
火の用心を誓った思い出のお焦げ
物心ついたころから玄関先で踊ってるよくわからん男女
トイレを飾る、ずっとピカソだと思い込んでいた詳細不明の絵(もちろんレプリカ)
よく上靴を洗わされた庭の水道
他にも、載せ始めるとキリが無い写真の数々。
それらを気が済むまでパシャパシャと撮り続けてきた。
これで大丈夫・・・
これさえあればこの先もなんとか折れずにやっていける・・・はず
そう自分に言い聞かせて翌日、実家を後にした。
まだもう一回、引っ越し当日に手伝いに来る予定。
だからこれが最後じゃないんだ、と・・・。
そしてつい先日。
私にとって本当の本当に最後となる引っ越しの日。
当日は私が実家まで車を走らせ、家人を回収して転居先へ送り届ける予定であった。
朝、いつもより早起きして家人からの連絡を待つ。
引っ越し業者が荷物を引き揚げたタイミングで実家に到着できるよう、早めに朝食を済ませておく。
そこに家からの電話。
「あーもしもしー、引っ越しが意外に早く終わっちゃって。そっち(転居先)ですぐ荷物受け取らないといけないらしいからもうタクシー呼ぶわー。てことでこっち来なくていいからねー」
人生において、後で振り返ってみると「あ・・・あれが最後だったんだ」と思うケースは意外と多い。
だから常に最後だと思って行動するに越したことはない。
ほんとそう思う。
そしてさらにショッキングな言葉が続く。
「あっそれからねー、例のあの机ね、あれドアから出なくて運べなかったんよーだからもう置いていくわ、じゃーねーブチっ」
あの机とはこの机である。
父の書斎にドシンと居座る机。
この家に越してくるよりはるか昔、私の記憶の始まりからすでに存在していた机。
特に物欲のない私が唯一、これだけは引っ越し先に運んでくれとお願いした机。
いずれは私の書斎(今は書斎なんてないけど)にドスンと鎮座させてやろうと目論んでいた机。
あろうことか、大きすぎて部屋のドアを通過しなかったらしい。
ほなそもそもどうやって運び入れたねん!
思わず突っ込みたくなるが、当時はロープで吊るして部屋の窓から入れたのだとか。
そして今はもうそのような運び方はしなくなったんだと。
最後の別れも言えず、こだわっていた机も運び出せず・・・・・
空けていた午前の予定がポッカリ無くなってしまい、この振り上げた拳をどうすりゃいいのよ状態の私は、とにかくいろいろ考えずに済むようにとランニングへ出発。
時々走る少しキツめのコースを選択して、ひたすら走った。
そのコースには折り返し地点にかなり高い高架がある。
ここを走る時はいつもこの高架をダッシュで頂上まで上り、しばらく周りの景色を眺めて息を整えてから帰路につくようにしている。
しかしその日は気持ち的にも疲れてしまったのか、なかなか高架に上る気力が湧いてこなかった。
ギリギリまで何度も引き返そうか迷った挙句、それじゃなんか負けみたいだからやっぱ上ろう、と意を決して階段を上り始めた。
久しぶりの高架だけど意外にスイスイいけるもんだ・・・・
それでもやっぱり上がってしまった息を、頂上に着いてから景色を見回して落ち着ける。
その時ふと香った懐かしい匂い
どこか嗅ぎ覚えのある・・・・
あっ、これ実家の書斎の匂いやん
そう、かすかに書斎の匂いがしたのだ。
実家の書斎には机や本棚やタンスといった木製の家具が多いせいか、どことなく湿気たような木の匂いがするのだ。
そして前日までの雨の影響なのか、高架近くの木材置き場から漂ってくる湿った木の匂いが、感傷的になっている私に実家の書斎を想起させたらしい。
そこでなぜか突然頭の中を回り始める、秋川さんの「千の風になって」。
ああ・・・こういうことなのかな
わりと自然に納得することができた。
父に「あの机にこだわるなよ」と言われたような気がした。
少し泣いたあと、いつものように高架を駆け下りて帰路についた。