夕ご飯の時、次女が突然泣き出した。
理由を尋ねたところ、今日連絡帳を持っていき忘れたと勘違いして(実際にはランドセルの中に入っていたのだが)、宿題の範囲を書いてくることができなかったのだと。
なぜ突然それを思い出したのかはわからないが、とにかく明日先生に怒られるのが恐ろし過ぎると言ってサメザメと泣く次女。
明日の朝いつもより早く学校に行ってお友達に宿題の場所を教えてもらってパパッと仕上げたらいいじゃないか、そう言って慰めたのだが、それだと学校で宿題をやったことが先生にバレるからどっちにしても怒られると。
次女の担任の先生はどうやらかなりキツめに怒る人のようだ。
次女はまださほど怒られたことは無いらしいのだが、周りには地雷を踏みまくっている児童が数人いるらしく、彼らの怒られっぷりを見ている内に恐怖が骨の髄まで染み込んでしまったらしい。
私としては超甘党な先生よりいいじゃないってとこだけど、次女はまだ人生において他人から怒られることに対する耐性がない(父母には存分に怒られているが)。
だから明日のことを考えて泣くほど気が沈んだのだろう。
その気持ちは痛いほどよくわかる。
しかし乗り越えていかねばならない。
ふと、研修医時代の苦い苦い記憶が甦ってきた。
研修医一年目の四月と言えば、医師免許は持っているものの経験値ゼロ、中身は学生となんら変わらないのに突然医者として前線に送り込まれるという最もストレスフルな時期である。
私は彼女と二人、まとめてある研修病院へ放り込まれた。
私たちの他に女性の研修医がもう一名、計三名での研修生活のスタートであった。
ここでのエピソードは過去に記事にしたことがある。
この病院では三か月毎に診療科をローテートする決まりがあった。
そしてその間、各診療科でマンツーマンに指導医(オーベン)がつく。
一度オーベンが決まると三か月は何があってもそのオーベンに張り付いて研修を行うというわけだ。
忘れもしない研修初日。
研修医一人ひとりに医局での作業スペースが与えられる。
同時に小さい紙が手渡されるのだが、そこにはオーベンとなる中堅医師の名前とPHS番号が書かれていた。
「みなさん、しばらくすると指導医の先生が来ますので、それまで自分のデスクで待機しておいてください」
研修医の世話係である副院長が、我々に紙を手渡しながらオーベンの名前を確認する。
「はい、あなた○○先生ね」
「はい、そちらの彼女は△△先生」
そして最後に私の番。
「はい、君は××先生です」
××先生。
その名前が出た瞬間、近くの机に座っていた数人の若手医師が何とも言えない表情で私の顔をチラリと見たことを今でもはっきりと覚えている。
直感的に身構えた。
ヤバい・・・・・・のか!?
すぐに彼女のオーベンが迎えに来た。
優しそうな中年の男性医師だ。
良かったね・・・・・
いや、本当にそう思ったから。
そして正直、もの凄く羨ましかった。
「代わってくれない?」って思った。
続いてもう一人の女性研修医のオーベンが迎えに来た。
これまた中年の、少し目つきが鋭い男性医師だった。
おっと・・・・・これはちょっと微妙じゃないですか?
正直セ~~フって思ったね。
危ない危ない、ニアミスだわって。
そしたら一言目から「そんな緊張せんでええよ、オレ適当やから」なんて優しい言葉をかけて彼女をリラックスさせていた。
「代わってくれない?」って思った。
そしていよいよ私のオーベン。
先に研修医二人を迎えに来た中年の男性医師を目の当たりにし、自分にはどんなオーベンがつくのだろうとドキドキして待つこと・・・・・
小一時間。
小一時間放置されましたね。
そしてようやく目の前に現れたオーベンは・・・・・・
野口笑子だった。
https://matome.naver.jp/odai/2136059224564940101
みんなご存知、ちびまる子ちゃんの野口さん。
私のオーベンに対する第一印象は「笑わない野口さん」だ。
私のオーベン(以後「ドクター野口」と呼ぶ)は本当にヒドい人だったと思う。
40代の女性医師だが、いつもしかめっ面で爪を噛んでいた。
挨拶をしても返事すらもらえないことが多く(その日の機嫌による)、廊下ですれ違う際などは壁際スレスレをこちらに背中を向けて通り過ぎていく。
まるでバイ菌扱いだ。
そして何より、看護師やその他コメディカルの面前で大声で罵倒してくる。
ドクター野口についた三か月間で、私はそれまでの人生の累積怒数(怒られた総量的なもの)を遥かに超えるほど怒られ倒した。
理由ははっきりわかっている。
特別に私の出来が悪かったり、態度がなっていなかったわけではなかったと思う。
そういう理由で怒られていたのではなく、単に彼女はわかりやすいほどのコミュ障だったのだ。
おそらくはアスペルガーまたはその辺縁のスペクトラム、しかも極めて攻撃的なタイプ。
医学会のヒエラルキーのほぼ頂点に君臨する名門大学出身と頭脳はピカイチだったが、対人関係に関しては本当にどうしようもないほどヤバい人だった。
一度、彼女が診察室で患者さんと喧嘩して泣いていた時があった。
そうとは知らず、用事があって診察の切れ目を見計らって部屋に入ったら白衣の袖でドクター野口が涙を拭っているというシュールな場面に出くわしたのだ。
「ヤバい・・・・」
そう思っても時すでに遅し。
こんな時に診察室に入ってくるなんてオマエはどれだけ配慮が無いんヤツなんだ、的に怒鳴り散らされて部屋から叩き出されたことを私は一生忘れない。
そんなだから、私は数週間でドクター野口を見切ることにした。
この人はダメだ、何をしてもおそらく通じない
すべて逆手に取られて怒鳴り散らされて終わりだ
研修一年目の四月にして、私は身の回りのすべてを利用して目の前のタスクをこなすスキルを身に着けた。
近くにいる医者(ドクター野口以外)や看護師、レントゲン技師に臨床工学士、誰にだってわからないことがあれば何でも聞く。
ネットや教科書で調べまくる。
なんとかドクター野口にだけはコンタクトを取らずに済むように(最終的には必ずオーベンのチェックが必要になるのだが)、それ以外の方法で問題を解決する術を会得したのだ。
そしてもう一つ、私が習得した能力。
これは別にどうでもいい能力なのだが。
実はドクター野口、結構強烈な「ワ〇ガ」だったのだ。
そしてこの匂い、神経を研ぎ澄ませることによって本人が目の前にいなくても「残り香」として探知することが可能だということに、当時極限まで追い詰められていた私は気付いてしまったのだ。
むむっ、この匂い・・・・・さっきまでヤツがいたな
そうとわかれば急いでその場を離れる。
だだっ広い病院だったから、顔を合わせないように気を使えば逃げ場所なんていくらでもあるんだから。
この「残り香」探知能力で、私はドクター野口と顔を合わせる機会を最大限減らすことに成功したのだ。
一つだけ忘れられない出来事がある。
普段ドクター野口からは滅多に電話がかかってくることなんてなかったのだが、ある時何かの用事で私のPHSを鳴らしたことがあった。
そしてその時、(これは私が完全に悪いのだが)最悪のタイミングでPHSの電源が切れていたのだ。
後で検証してみたところ、ナースステーションのテーブルがちょうど私の胸元にあたる高さであったため、どうやら作業をしている最中に胸ポケットに入れていたPHSの電源ボタンがテーブルに当たってoffになってしまったようなのだ。
しかしそんなこと、ドクター野口が理解してくれるわけがない。
狂ったように各病棟に私がいないか電話をかけまくっていたらしい。
そうとは知らない私。
ある病棟で看護師から「先生、なんかさっき野口先生がエラい剣幕で電話かけてきましたよ、私の研修医はどこだって」という情報を入手し、顔が青ざめるを通り越して暗紫色になるほど緊張してドクター野口に電話をかける羽目になったわけだ。
本当にもう、死んでしまいたいと思ったね。
電話に出たドクター野口は珍しく凪のようなテンションで。
だけど声はいつもにもまして野太く低め。
「先生・・・・・・・何してたんや?」
「スイマセン、なんかPHSの電源が切れてたみたいで・・・・・」
凪と思ったのは束の間、その後はマグニチュード9クラスの激震が10分くらい延々と続く続く・・・・。
その間の会話で、私の人生ベスト3に入るほどの名言が飛び出したわけだ。
「アンタは研修医やろ!?
それやったらもっと私にヘツラいなさい!!!!」
日常会話で「へつらう」なんて単語、初めて聞きましたわ。
だけどなんかその頃にはもう、電話を無視されて激ギレしてる恋人をなだめてる位に諦念、森鴎外レベルで諦念の境地に達してたわけだけどね。
それと同時に、オレは本当に駄目なヤツなんじゃないかって不安に苛まれたりしたわけで。
だから何とか地獄の三か月を終えて次のオーベンに巡り合えた際、「君、今まで僕についた研修医の中で一番賢いね」って言葉に涙したりして・・・オレ駄目じゃなかったんだって。
次女が泣いてる姿を見て、ふと研修医時代のしょっぱい思い出が甦ったわけだけど。
今から考えると、ドクター野口は野口なりにまぁまぁしんどい人生を送ってきたはずで、彼女自身に罪は無いのかもしれない(まったく無いわけではないと思うけど)。
あの時一番罪深かったのは、そんな先生だってわかってたにも関わらず右も左もわからない研修医にそいつを当てた上層部だろ。
「三歳児にドーベルマンの散歩をお願いしたら食い殺されました、ごめんなさい」って世間様は納得しますか?って話だよ、まったく。
これからいろんな体験をすると思うけど。
子供達にはめげずに折れずに、適当にあしらいながら生きていく術を身につけていってもらいたいものだ。