パンダ組の日常

~だんご三兄妹をめぐるカオスな日常~

中学受験と小学生の塾通いについて真剣に考えてみた

ひょんなことから職場で子供の習い事の話になった。

なんでもその先生のお子さんは小4で塾と家庭教師を掛け持ちしてるらしい。

金はかかるし毎日塾の送り迎えで大変だ、と嘆いていた。

 

ウチはまだ小1だから関係ねーやとか考えながらボーっと別の先生の話を聞いてると・・・・

その先生もすでにお子さんを塾に通わせていると。

ウチと同じ小1なのに。

 

 

知らんやった・・・・・・

公文行ってりゃ何とかなるんじゃなかったんだ・・・・・

 

 

いやはや、時代の流れなのかなんなのか。

今を生きる小学生たちは青っ洟を垂らしながらのんびり遊ぶことも許されないらしい。

 

 

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そもそも私は受験事情に疎い人間だ。

医者なんだから熾烈な受験戦争をくぐり抜けてきたんだろう、なんて思われたらそれはとんだ勘違い。

 

両親は「中学受験なんて必要ない、高校だって近くに良い公立があるんだからそこに通え」という考えだった。

だから塾に通ったのは中学に入ってからの二年程度。

どうやら当時の両親は「大丈夫、この子は尻なんて叩かなくてもきっと自分でちゃんとやってくれる」っていうノーエビデンスな妄想に目がくらんでいたフシがある。

 

そうやってほとんど尻を叩かれることなく「自主性」という名の放置プレーにさらされた私は、ツルツルの桃尻のままあっさりと受験の本流から外れていった。

 

ま、これは別に両親のせいでもなんでもない。

ただ単に自分が弱かっただけだ。

その頃丁度、家が大変な時期だったってこともある。

 

 

高校卒業後、当たり前のように浪人して予備校に通わせてもらったが、まったく勉強に身が入らず途中から予備校にすら行かなくなった。

 

その後なんとか滑り込んだ大学を中退したり、はたまた次に行った大学の大学院を中退したり。

最終的にかろうじて自分が本気で望んだ医者となるべく再々入学を果たすことができたのだが、そこに辿り着くまで実に10年近くも遠回りをしてしまったのだ。

 

事情を知らない他人からしたら「そんだけ受験してるんだから当然受験情勢にも詳しいでしょ」って思われるかもしれない。

しかし先にも書いた通り、受験において私は完全なるアウトロー

だから受験事情には異常なほど疎い。

 

受験戦争に勝ち残るべく鍛え上げられてきた猛者どもと机を並べて切磋琢磨した、なんていう記憶はほぼない。

なんせ予備校にすら行かなくなったから。

新たに受験を決意する度に図書館で一人で勉強してたから。

受験に必要な情報は全部2ちゃんねる」の受験板から収集してたから。

ホンモノの受験生と接する機会なんてほとんど無かったから。

 

 

しかし、今となってはつくづく実情を知らなくて良かったなって思う。

周りが小っちゃい頃からそんだけビシバシやってたなんて知ってたら、きっと戦う前に戦意喪失してたに違いない。

そんなの勝てるわけねえじゃん・・・・って。

規格外にメンタルの弱い子だったから。

 

私の場合、「井の中の蛙、大海を知らず」だったことが幸いした稀有な例だろう。

 

 

そんなだから、受験に関して子供たちに適切なアドバイスなんてしてやれるはずもない。

しいて言うならば「父を反面教師とせよ」、それだけだ。

 

私は自分の回り道を後悔しながらも納得し、受け入れてそれなりに楽しんだ。

しかし「失われた10年」の代償はキッチリと払わされた。

なんなら今でも払い続けている。

だからできることなら子供たちには余計な回り道なんてして欲しくない。

少しは寄り道したって構わないが、そこはもう常識の範囲内でお願いしたい。

間違っても失敗したら即人生棒に振るような、そんな危険な橋は渡らせたくないのだ。

 

 

そう考えるとやっぱり子供は中高一貫の私立に行かせる方がいいのだろうか・・・・

俺の子だから公立に行って放置プレーされたら絶対サボるに決まってるし・・・・

だけど中学受験するなら塾に行かせるしかないよな・・・・

いや待てよ、嫁さんは真面目な性格でコツコツ型だから、あっちに似たら意外にちゃんとやってくれるかも・・・・

 

 

そんなことを考えては心が揺れ動いているのだ。

 

 

しかし先日、ついつい周りの意見に流されて小学生の学習塾とやらを調べてみたのだ。

そしたら結構な衝撃を受けた。

 

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まずは終わる時間。

自習時間やらなんやらで結局夜の9時、10時になるらしい(小学四年以降)。

だから弁当持参なんだと。

小学生の身空で晩飯も一緒に食えなくなるのかと思ったら不憫で泣けてきた。

というわけで拘束時間の長い塾は却下だ。

 

 

さらに、塾によっては座る席順まで成績で決められてるらしい。

 

それはさすがに早過ぎやしないか??

競争心煽り過ぎでしょ??

 

こんな小さい内から劣等感を刷り込むのも嫌だし、逆に優越感から他人をバカにするような子供に育ってしまう可能性だってある。

だめだ、競争心を煽り過ぎる塾も却下だ。

 

 

さらにさらに、送り迎えの問題もある。

子供を塾に送り届けて、終わったら迎えに行って。

大変だけど一人二人なら何とかなる。

だけどウチは三人もいる、しかもほぼ年子。

無理無理無理、家から遠い塾は却下だ。

同じく値段が高すぎる塾も却下だ。

 

 

 

 

・・・・・・・通える塾ねーわ

 

 

 

まあいい、まだ時間はある。

本当に塾に通わせるのか、通わせるなら子供達ばかりでなく親も何を我慢して何を捨てるのか、そのあたりをもっともっと煮詰めていく必要がありそうだ。

 

 

 

しかしなぜ私は子供の塾通いをこれほどに迷うのだろうか。

 

おそらくそこに子供自身の意志がないからだ。

自分の中のどこかに「教育パパ、教育ママ」になることへの抵抗感があるのだ。

私の両親はまずまずの放任主義、だから私も当然そっち寄りの考え方。

自分がしてこなかったことを子供達に強要するのはどうにも気が引けるのだ。

 

それに勉強だけが全てだとは思っていない。

小さい頃から与えられた問題を解きまくって受験に役立つテクニックをいくら詰め込んだところで、結局は自分自身で答えを導き出す能力が無ければ行った先々で苦労するのが目に見えている。

実際のところ受験では高得点を取ったはずなのに大学に入ったら全く歯が立たずに脱落していく、そんな例を嫌というほど見てきたから。

 

だけど別に教育パパ・ママを否定しているわけでもない。

誰だって子供の将来を考えれば「あれもやってやりたい、これもやってやりたい」となるのは自然なこと。

どこまでが親心でどこからが過保護なのか、私にはまだその区別がつかないのだ。

mamanさんが以前のブログに書かれていた「介入と干渉」の違い、そこにヒントを見出しつつも自分の中でまだ答えが出ていないのが現状だ。

 

 

何も準備していなければ将来子供たちが望んだ時にはすでに手遅れ、なんていう笑えない可能性もある。

だから彼らがもっと大きくなって本気でやりたいことを見つけた時、それにトライできるだけの最低限の準備だけはしておいてやりたいと切に思う。

そのための伏線として小学校から塾に通わせるのも一つの選択肢にはなり得るのだろう。

 

 

あ~、、悩ましい。 

いっそのこと子供たちが自分から望んで「もっと勉強させて!」とか意思表示してくれたらいくらでも協力するんだけど。

あるいは「将来絶対に〇〇になるんだ!!」って確固とした未来像を持ってくれるとか。

 

ま、そんな小学生なんていねーわな・・・・

 

自分なんて二十歳過ぎても何をやりたいのかイマイチわかってなかったし・・・

 

 

 

 

子育てにおいて同様の経験をされている方々の意見も是非ぜひ参考にさせて頂きたく、それ系のブログをチラチラ覗き見させてもらってる今日この頃です。。