思い返せば苦節40年、腹具合に悩まされ続けた人生であった。
私が死ぬときは腸閉塞、おそらくこれは宿命。
今朝も子供達を幼稚園・保育園に送り届けている最中にビッグウェーブがやってきた。
多少の腹痛には慣れっこの私をもってしてもこの波は乗り切れないと瞬時に判断し、職場に向かう前にもう一度自宅にピットインするという機転を利かせてなんとか危機を回避。
まぁ簡単にいうとウンチ我慢できなかっただけなんだけどね。
私が今最も恐れているのは、父の尋常ならぬ腹の弱さが子供達に遺伝するのではないかということ。
しかし今のところ幸い長女と次女に関する限り、その徴候は見られない。
問題は長男。最近よく腹が痛いと口にする。
実際下痢気味のことも多いようで、その辛さを知る父はハラハラドキドキしている。
まあ元来男の子のほうが腹が弱いっていうし、もう少し気長に経過を見ることにしよう。
今までの人生、この腹の弱さゆえに数々の失敗(というか失禁)を経験してきた。
他人からすれば笑い話以外の何物でもないのだが、本人にしてみれば死活問題である。単純に気持ち悪いし人にバレたら恥ずかしいし心が傷つくしパンツがもったいないし。
しかし悪いことばかりではない。このような経験を積むことによって研ぎ澄まされる能力もある。
私の場合、正確な状況把握力(周りに人はいるのか、トイレは近くにあるのか)、迅速な情報処理能力(どれくらい出たのか、ニオイは?形態は?深達度は?)、そして的確な判断力(このままいけるか、それとも一旦引くか)などをこの経験から勝ち取ってきたといっても過言ではない(過言かもしれない)。
ここで一つはっきりさせておきたい。失禁とはいってもあくまでチョコッと、ガスだけかと思ったら液体成分がチョコッとだけ混じってましたよ~、程度である。
チョコッとラヴである。断じて”一本さん”では無い。
私の人生で”一本さん”してしまったのは、後にも先にも小学一年次の1回だけ。その時のことは今でもはっきりと覚えている。
確か一人で下校しようと校門を出てすぐに腹痛と強烈な便意を覚えたのだが、子供の足ではそこから自宅まで20分以上かかる道のりであった。引き返してトイレに行くことも可能だったはずだが、おそらく学校で大をしてるところを人に見られたくなかったのだろう。当時7歳の少年は家まで我慢することも学校に戻ることもできずに追い詰められた結果、校門から少し離れた場所で誰もいないことを確認し、立ったまま一人でひっそりと・・・・。
そこから20分、少年はひたすら無心で家に向かって歩き続けた。お尻に生暖かい塊を感じながら。半ズボンからはみ出してこないよう、なるべく振動を与えずに細心の注意を払って。
ようやく家に辿り着きホッとしたのも束の間、玄関のチャイムを鳴らす段階で少年は覚悟する。
きっと鬼のように怒られるに違いない、と。
でもいいや、ここまで誰にもバレずに帰ってこれたんだから
あとは甘んじてどんな罰でも受けようじゃないか
玄関が開いて母親が顔を出すや否や、
「ただいま、そしてウンコもらしましたごめんなさい。いやちょっとだけじゃなく1回分まるごと。がまんできなかったんですごめんなさい」的な感じで潔く謝罪。
どのみち自分でこっそりと処理できる量を遥かに超えてたわけだし。
そしたら当時の私には理解不能なことに、怒られるどころか「よく頑張ったわねー、可哀そうに。気持ち悪かったでしょ」とねぎらいの言葉を頂いてしまった。
なんでウンコもらして褒められてんの???と疑問に思ったもんだが、今となっては親の気持ちがよーーーくわかります。
普段は厳しいオヤジだけど、こういう時には気の利いたジョークでもかましてやれるようなイイ大人になれるよう精進して参りたいと思います。。
しかしこの感じ、大人になってからも経験したような・・・