パンダ組の日常

~だんご三兄妹をめぐるカオスな日常~

「目くそ鼻くそを笑う」という諺が持つ違和感を解消する新事実を発見した

 

目くそ鼻くそを笑う

 

おそらくこの諺を知らない日本人はいないだろう。

数多の諺の中でも一際異彩を放っているこの「目くそ~」に関して、誰も知らないであろう新しい事実を発見したのでここに書き記しておこうと思う。

 

 

またしても半覚醒状態の明け方、ベッドの中で突然この諺が頭の中をグルグルと回り始めた。

私の場合、時としてまったく覚えのないフレーズが寝ぼけた頭に舞い降りてくることがある(ちなみに前回は「米国」というフレーズが急に回り始めた)。

このように突如何かが降りてくる時は神の啓示である場合が多く、その言葉について思いを巡らせることで新事実にたどり着く可能性が高い。

 

そこで私は「目くそ~」について真剣に考察することにした。

 

 

 

この諺、調べてみると次のように解説されている。

 

汚い目やにが、鼻くそを汚いと言って笑う

自分の欠点には気がつかないで、他人のことをあざ笑うたとえ

 

もちろんこの諺の意味は理解していたつもりだが、解説を読んで二つほど違和感を覚えた。

 

第一の違和感。

汚い目やにが鼻くそを笑う、あたかもオレの方がオマエよりもマシだと言わんばかりに。

 

 

・・・・えっ?別にそれでいいんじゃないの??

 

 

目くその方が鼻くそよりマシでしょ、どう考えても。

なんで目くそと鼻くそを同列に扱ってるの?

 

 

 

わかりやすく例を挙げて説明しよう。

高校生の西郷潔くん(仮名)が最近付き合い始めた彼女とデートしている場面を想像してほしい。

 

待ち合わせに5分遅れてきた西郷くん。

髪の毛はボサボサ、おまけに目やにまでついている。

 

「まぁ潔くんたら・・・・・お寝坊さん♡」

 

きっと彼女は笑って西郷くんの遅刻を許してくれることだろう。

 

 

逆のパターン。

待ち合わせの5分前にバッチリ決めた服装で彼女を待つ西郷くん。

もちろん鼻の穴から鼻くそがぶら下がっていることには気づいていない。

そこへ少し遅刻して集合場所に現れた彼女。

 

「ごめんごめん、待たせちゃった??」

「いや、全然待ってないよ、今着いたところ」

「それじゃ行こっか」

 

そこで西郷くんの鼻から飛び出ている鼻くそに気付く彼女。

 

 

「ヤダ、潔くんって・・・・不潔」

 

 

この場合、「潔」という名前によって西郷くんの負うダメージはさらに深くなる。

しかしそれは西郷くんの責任ではない、というかそんなことはどうでもいい。

 

いかがだろう。

やはり「目くそ」と「鼻くそ」が同列ではないことが御理解いただけただろうか。

 

えっ?

この設定は多分に彼女のキャラクターに左右されているじゃないかって??

 

それでは目くそより鼻くその方が数倍危険であることを、誰もが納得のできるように説明して差し上げよう。

 

 

目くそも鼻くそも、出来立てホヤホヤのフレッシュな段階では粘性が高い。

しかし長時間へばりついていることでやがて水分が蒸発し、ドライな状態になる。

 

これが目くそであった場合、どこかでポロリと剥げ落ちておしまい。

特に事件に発展することは無い。

 

問題は鼻くそだ。

 

鼻くそは乾いてもしばらくの間、鼻毛に絡みついてぶら下がり続ける。

もしも西郷くんが鼻呼吸するタイプの人間であれば、呼吸に合わせてピロピロとなびき続けることになる。

これを正面視し続けるのはいくら気の良い彼女であっても到底無理な相談だ。

 

そして何より恐ろしいこと。

 

そう、乾いた鼻くそは「飛ぶ」ことがあるのだ、春風に乗って。

いや、鼻息に乗って。

 

しかもこの鼻くそ爆弾、どのタイミングで飛び出すかは神のみぞ知るという曲者。

まさに「いつ発射されるのか誰にもわからない時限式ミサイル」なのだ。

 

もしこの発射ボタンが向かい合って食事しているときに押されでもしたら・・・・

 

それが彼女のスープの中に着弾でもした日には・・・・・・

 

 

恐ろしい・・・考えただけで身の毛がよだつ。

西郷くんは一瞬にして彼女を失うだけでなく、次の日から学校でいつものあだ名が変わっていることに気付くことだろう。

 

 

 

西郷どん(せごどん)」からテポドンに。

 

 

いかがだろう。

これで「目くそ」と「鼻くそ」が決して同列ではないことを御理解いただけたものと思う。

 

 

 

そこでようやく二つ目の違和感。

これに関しては、実は前々からずっと疑問に思っていたのだが。

 

解説では「汚い目やに、鼻くそを~」となっている。

目くそが主語だ。

だけど私はずっとこう思っていた。

 

「目くそ・鼻くそを笑う」

 

目くそが主語ではなく、目くそand鼻くそ、目くそ鼻くそなのだ。

 

 

そこでふと気付いた。

 

私は先ほどから、しつこいくらい例を挙げて目くそと鼻くそが同列ではないと書いてきた。

だけど実際には昔から目くそと鼻くそを同列と認識していた。

これは明らかに矛盾だ。

 

 

私はこの矛盾の理由を考えた。

寝食も仕事も忘れて考え続けた。

家庭すら省みず、ひたすらこの矛盾が生じた理由の解明に挑んだ。

 

そしてある可能性に辿りついた。

 

 

・・・・この諺には続きがあったのかもしれない

 

 

よくあるパターンだ。

有名な一部のフレーズだけが独り歩きした結果、本来の意味が取り違えられて広く浸透してしまう現象。

きっとこの諺はその類に違いない。

 

もしこの諺に続きがあったとしたら、「目くそ・鼻くそを笑う」でもまったく違和感はない。

それならば「目くそ」が「鼻くそ」を笑うなどという、別にそれでもいいんじゃない?的な微妙な空気に包まれなくても済むじゃないか。

 

 

そこまでわかれば後は簡単。

長い年月の間に省略され忘却の彼方に葬り去られていた続きのフレーズ、それを掘り起こしてやればよい。

 

 

簡単と言ったが、この作業は常人にはまず無理だろう。

しかし私にはできる。

なぜなら寝ぼけた頭に突如、この諺が舞い降りてきたわけだから。

 

これは神の啓示なのだ。

私には神様がついている。

 

 

目くそと鼻くそを同列たらしめる強力な何か、それこそが失われたフレーズの正体だ。

 

 

 

それでは最後までお付き合いいただいたあなたにだけ、この諺の完成形、本来の姿をお教えいたしましょう。

 

 

 

 

 

目くそ鼻くそを笑う 一本ぐそ

 

 

注)すべての偽物どもは本物の前にひれ伏すのだ、的な意味

 

 

 

 

 

さあ、新しい時代の幕開けぜよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さま、ご無沙汰しております。

 

様々な事情によりブログが書けなくなって4か月、ようやく一筋の光明が見えてきました。

 

今はまだ本格復帰とはいかないまでも、近い将来またこの場に戻ってくることができるかもしれません。

そうなれるよう、日々120%で精進して参ります。

 

 

 

どのような状況でもユーモアを忘れずに。

 

 

 

明日も全力で行く。。